Documentaries as Gifts for Society
一体ドキュメンタリーとは、なんのために存在しているのだろうか?
それは字義通り記録のためか?感動をもたらす装置としての物語?或いはその双方?ーー私たちは世界中を駆け回って“真実“を探すべきなのか?けれど“真実“は追えば追うほど逃げていくし、すべてを語り尽くすことなど人には到底出来やしない。ーー私たちはあらゆる物事の「良し悪し」を裁定するべきなのか?誰かに肩入れして、他の誰かを否定するべきなのか?不義不正を暴く正義の鉄槌となるべきか?ーー救われぬ弱者をひたすら慰撫するべきか?ーー或いは難しい話は抜きにして、可愛らしい小話や、笑えるゴシップの類を作るべきか?…流行りに過剰に迎合する必要はないが、つまらなければ誰にも見向きすらされないだろう? ーーよく言われるように作者が壁のシミのように存在感を消せるなら、それにこしたことはない。だが、「絶対的な客観」などありえない以上、いっそのこと作者の自己表現をどこまでも追求してみたらどうか?……。
あらゆる表現様式と同じく、映像もまた社会と無関係ではいられない。それがドキュメンタリーなら尚更そうだ。私たちは本質を直視して、肚を括ってこう言ってみることにする。ーードキュメンタリーとは、社会へのギフトとなるために存在するのだと。「ギフト」とは、人々が自分で何かを考え、自分自身と社会とをポジティブに進化させていくための材料の詰め合わせのようなものだ。それはひとつの贈り物であり、恩恵でもある。まるで未だ見ぬ孫の代へと向け木を植える風変わりな杣人のように、私たちは愚直に、そして一徹に、社会に向けてギフトを作る。長編映画だろうと短いコマーシャルだろうと、その精神が貫かれているものを私たちは「作品」と呼び、そういうものを作る人間を「作家」と呼ぶ。
夢見がちな私たちが作りたいのは、「社会へのギフト」というパッションが充填されたバトンだ。バトンはバトンである以上、次へとつながれていかねばならない。だから私たちは種を蒔き、新しい「作家」を育て、愚直に、そして一徹に、人から人へとバトンをつなぐ。作り出すギフトに、一片の価値があると信じて。
代表取締役 プロデューサー・ディレクター
1952年生まれ、現在高知県佐川町尾川地区在住
現在、主にPR映像を制作、行政からの依頼の映像制作や、
佐川町尾川地区の映像を自主的に制作している。
1977年から1994年まで㈱イースト、㈱ネクサスの2社のTV番組制作会社に勤務。バラエティーを除く多様な番組を制作。最初に勤務した会社の命によりヨーロッパ支局の開設を行い、2年間をパリで過ごす。コーディネーターの発掘など海外取材のワークフローを構築。
情報番組、海外紀行番組、美術番組、自然番組、科学解説番組の制作・演出を行う。1990年、英国のサイエンスライター、ドーガル・ディクソン原作の「アフター・マン」の映像化を行う。CG全盛前の特撮と実写で構成された番組。
1995年、コンピュータの可能性を信じ、デジタル・ワークフローを実現するため独立、株式会社エヴォリューションを設立。WEB、 CGなどを組み込んだ制作活動を行う。
1999年、渋谷のランドマークとなっているQFRONTビルの壁面ビジョン「Q’s Eye」の構想・運営に携わる。ノンリニア編集と同様のハードディスクからの送出という日本で初めてのシステムを構築。この仕組を応用し東京ドームのオーロラビジョンの改修に参画、運営も行った。
同時期、2002年、国際宇宙ステーションがロシアのモジュール「ズヴェズダ」だけであったときから、JAXAおよびNHKの関連会社と連携しHDカメラをモジュールに持ち込こむという計画に参画。撮影シナリオを作成した。JAXAの広報活動にはその後10年近く関わる。
実験的にレーベル事業を行いDVD10タイトル、CD2タイトルを発売。とりあえず黒字化。
また、CNNと提携し海外展開を図る日本企業(NIKON、スズキ、コニカミノルタ等)の海外向けCMを制作。
2013年家庭の事情(親の介護)で本社所在地を高知県佐川町に移す。
2016年、富山県立山砂防博物館のための立体HD作品「常願寺川」を制作。ネット環境による遠隔業務のワークフローを確立。
㈱エヴォリューションから分社化したWeb制作会社・㈱エヴォワークスとともに遠隔作業でWeb映像制作を行う。
2022年、コンピュータやネットワークの進化、一眼カメラによる動画の撮影(DSLR革命)といった環境の変化を足がかりに、㈱エヴォリューションのリブートを決定。「ドキュメンタリーの再定義」を目標に、トム・ヴィンセント、長岡参を取締役に迎え、会社を再スタート。
取締役|映像作家|映画監督
1979年、千葉県四街道市生まれ。徳島県佐那河内村在住。
徳島を拠点に、全国を回りながらドキュメンタリーをベースとした
映像作品を数多く制作している。
東京工芸大学を中退後、スウェーデンに遊学し、独学で写真を撮り始める。帰国後、映画美学校初等科、高等科、研究科に通い数多くの映画監督に師事。その後東京でフリーランスとして、様々な自主映画のカメラ・照明・美術スタッフ、映像ワークショップの主催、伝統工芸の紙加工職人の弟子、NPOのアートディレクター、下町のシェアハウスの立ち上げや運営、環境系映像会社GreenTV のクリエイティブディレクターとして働く。
2010年突如として徳島県神山町へ移住。株式会社トノループ・ネットワークスを経て「長岡活動寫眞」を立ち上げ、四国の内外で様々な映像制作を開始。また各国の映像作家らと全国を旅しながら、長編ドキュメンタリー映画『産土』『産土-壊-』を制作した。
2016年和歌山県湯浅町からの依頼で『The Birthplace of Soy Sauce』を制作。同作はナショナルジオグラフィックの公式ウェブに掲載され、YouTubeで莫大な再生数を記録。RedditにてTOP10に入るなど話題となった。
2017年に実に6年の歳月を費やして制作した短編ドキュメンタリー映画『神山アローン』を完成させ、同作で札幌国際短編映画祭にて最優秀ドキュメンタリー賞、第1回小布施短編映画祭にて一般審査員賞を受賞した他、国内外の様々な劇場で上映される。
同年、映画界の巨匠イングマール・ベルイマンの邸宅を芸術家に開放したアーティスト・イン・レジデンスにスウェーデン人舞踏家フラウケと共に選出され、フォーレ島にて実験映像『Fortuna』を制作。
2018年愛媛県西予市の一年に渡る撮影期間を経て、PR動画を制作。また徳島の企業家たちの支援を受け、初のフィクション作品の制作に取り掛かり、2020年に映画『あわうた』として完成。同作は多くの映画祭でオフィシャル・セレクションに選ばれ、2020年のロンドン・インディペンデント・フィルム映画祭にて最優秀長編映画賞、2022年ポルトガル・ポルト国際映画祭にてBest Director賞と審査員特別賞をダブル受賞した。
2022年、株式会社EVOLUTIONに参画。
合同会社長岡活動写真館 代表社員
取締役|クリエイティブディレクター
1967年、イギリスロンドン生まれ。滋賀県蒲生郡日野町在住
滋賀県蒲生郡日野町を本拠地とし、企業や政府、自治体のコンセプト戦略づくりから
ブランディング、プロモーション及びメディアやコンテンツの制作などを行っている。
1999年から2008年、株式会社イメージソースの取締役兼クリエイティブディレクターに。 ソニー、富士フィルム、 IBM、スウォッチ、JT など世界企業のブランドやキャンペーンウェブサイトを手がける。One Show、キャンヌサイバーライオンなど、様々な広告賞を受賞。
2009年に株式会社トノループネットワークスを設立。日産自動車、日テレ、吉本興業、平凡社、キリン、経済産業省、国土交通省観光庁、NHKワー ルド、ジャパンタイムズ、スマイルズ、全国町村会、 三菱工業、などの大手企業やプロジェクトのお手伝いをしながら、徳島県神山町をはじめ、様々な地方の町おこし/島おこしや地域活性化関係の企画にも参加。
2012年、21_21Design Sight で開催された展覧会「テマヒマ展」<東北の食と住>のための映像をプロデュース。 2011年から日本各地の森と共に生きる暮らし方を描くドキュメンタリー映画「産土(うぶすな)」、「産土ー壊ー」 をプロデュース。2016 年「産土3ー 節ー」をプロデュース。 2013年、NHK 大河ドラマ「八重の桜」の11月編のオープニング映像をプロデュース。 2013年、BS11特別番組「This is 僕の細道」ナビゲーター出演。2017年、短編映像「Yuasa Town, The Birthplace of Soy Sauce」をプロデュース、米National Geographic Short Film Showcaseに選出。2018年、戊辰150周年記 念事業特別番組「AIZU、忠義編」、ナビゲーター出演。 2021年、オーディオドラマ「わたしが日野町に恋をした話」をプロデュース。2021年、短編映画「ひのくらし」をプロデュース、など。
クラフトビール会社「Hino Brewing」を日野の老舗酒屋六代目と日野在住ポーランド人ブラウマイスターと共同経営。
内閣府クールジャパン戦略アドバイザリー・ボードメンバー
京都芸術大学大学院 文化デザイン・芸術教育領域 客員教員
株式会社トノループネットワークス 代表取締役
Hino Brewing株式会社 取締役
徳島県徳島市生まれ。映像作家。
本名は笹田百合 (ささだゆり) だが、
「だ」を抜いた方が、呼びやすい、縁起が良い、イメ ージが良いということで、
2023 年から「だ」を抜いたり抜かなかったりしている。
2015 年徳島県でイベント企画ユニット「ヒトイロ」を立ち上げ、音楽にまつわるイベント を主催。独学で、映像やグラフィック、ウェブデザインを学ぶ。
2016 年より徳島と東京を 拠点とする広告会社で 6 年間勤めたのち、フリーランスに。2022 年 9月、東京渋谷にある 映画美学校フィクション・コース第 25 期を卒業。東京を拠点とする映像・アート団体 VACANCE picturesを仲間と立ち上げる。
2022 年 11月より長岡活動写真館に参加。企画、撮影、編集までを一貫して行い、その人 や団体の魅力を伝えるドキュメンタリーや広告映像の制作を行っている。
ディレクター&コンサルタント
東京都生まれ。東京都在住。
浜野総合研究所入社、
2005年 株式会社乃村工藝社、2010年 CPCenterに在籍し、
都市型商業施設を始めとするコンセプトづくりやMD計画を実施。
2012年よりフリーランス。商業施設開発プロデュースに加え、業態開発やブランド開発事業も多数実施。
主な実績:
商業施設開発プロデュース|
QFRONT、二子玉川rise、東京ミッドタウン、GRAND FRONT OSAKA、京都タワーSANDO、Shibuya Scramble Square、東急本店プロジェクト飲食における構想案、
業態開発プロデュース|
CHEESE GARDEN、Shibuya Food Showリニューアル、
cafe & bakery熱海、ギャラリー&サロンkojin kyoto、目で食の世界を味わう展覧会「eye eAt 」展プロジェクトマネジメント。
制作・マネージャー
京都府出身。
京都精華大学在学中に学園祭のステージ総括を務めたことが人生の契機になる。
上京後、LOFT9 shibuya、代官山晴れたら空に豆まいて等で“縁の下の力持ち”として接客・事務などを精力的にしながら、漫画家島順太の原画展や、様々なライブステージなどを企画。
ーー嘘をつけない自分が「ほんもの」だと思ったものを人に伝える仕事をしたい
そう考え、エヴォリューションに参加。空手陰陽弐段。ハヤシライスが好き。